前回のブログで、ジャズの師匠との出会いのエピソードをご紹介しました。「24時間練習しろ!」とのお言葉をいただいたことから、お察しいただけるかとは思うのですが、毎週水曜日(初期は隔週水曜日)の、師匠のバンド練習は、当時の私にとって、とんでもなく緊張感の高い時間となりました。
当時の私、鈴木学は、時折バンドの仕事をいただいていたとはいえまだ大学生、ジャズ研学生そのものものでした。一応それなりに仕事にはなっていたので、学生の中では、そこそこのレベルではあったのでしょうが、今になって振り返れば、プロのレベルから見れば、ど素人当然だったと思います。当然師匠のバンド練習でも、ついて行くだけで精一杯でした。
過酷すぎる練習環境
否、実際は「ついて行くだけで精一杯」と言うよりも、実質的にバンドの音に参加できていなかったと思います。レベルが違い過ぎて、私がサックス(サクソフォン)で一緒になって演奏しても、バンドの音と全くアンサンブルできていなかった、というのが本当のところでしょう。
何となくそのように感じてはいても、具体的にどのようにすれば師匠たちの音に近づけるのか、そもそも「何が違うのか?」皆目見当がつきませんでした。幸いなことに、当時の私は、師匠たち本物のプロの演奏と自分の演奏が根本的に何か異なる、レベルが違う事には気づくことができました。ただ、何が違うのかが分からない・・。全く歯が立っていないことに気が付いていながら、どうすれば良いのか皆目わからない中、やみくもに演奏を続けるのは、相当にきつかったです。
加えて、毎週練習していたお店の音響環境が、極めて過酷なものでした。専門用語では「極端なデッド」というのですが、「音の跳ね返り、反射音が全く無く、かなりの音量を出しているつもりでも、壁、床、天井の吸音材に音が吸われてしまい、自分に耳には貧弱な音色に聞こえてしまう。しかも音色、演奏の粗(アラ)がハッキリと目立って聞こえてしまう」という、管楽器奏者にとっては、もう本当に拷問レベルの音響環境だったのです!
環境によって鍛えられる!
要するに、何を演奏しても普段以上にへたくそに聞こえてしまう過酷な音響環境の中、数カ月練習を続けたのです。すると何時の間にか、自分の音色がたくましくなってきたように思えてきました。特にバンドマンとしてステージ上がる先で、それが徐々に実感できてきました。やはり、演奏環境がプレイヤーを育てるという事があるのだと、大いに勉強になりました!
そんなある日、師匠が、毎週練習していたこのバンドでの、ライブハウス出演を決断しました。いよいよ私も、ジャズクラブデビューできるのだと、内心大喜びしました。しかし、師匠は「ただし当分の間、お前のソロは、全て2コーラス以内限定だ!」と仰いました。
「2コーラス」というのは極めて短い演奏時間となります。つまり、私は初めは短いソロしか吹かせてもらえないという事になったのです。もちろん、私はかなり意気消沈しました。それでもやるしかありません。実際のライブハウスのステージには張り切って上がりました。そして演奏が始まりました。しばらくして、何故師匠が「2コーラス限定」と仰ったのか、その意味が痛いほど理解できました。実はその条件は、むしろ「親心」からだったのです。
演奏が始まると、すぐに私は面食らいました。師匠のギターの音、そして同じくベテラン、先輩奏者のドラマーの音が、とにかく大きく力強く感じたのです。音量も大きかったのですが、それ以上に楽器の音色の強靭さ、そして存在感が、とんでもなく凄かったのです。これが一流プレイヤーの本気モードの音なのですね。
「うひゃ~。これは参った」と怯みながらも、せっかくのステージですし、観客も目の前にいます。とにかく自分にできる精一杯で頑張るしかないと、全身全霊の力を込めて演奏しました。もちろん、それでも師匠たちの音には、全く敵わなかったのですが、その日のステージを終えてみると、各曲2コーラスしか演奏していないのにもかかわらず、疲労困憊していました。「2コーラス」でも当時の私にとっては、十分な重荷だったのです。
さすがにその頃には、世間知らずの若造だった私にも、「師匠には、一生かかっても追いつけないかもしれない」可能性は理解できていました。師匠は本当にすごいプレイヤーなのです。それでも、いつの日にか、「足手まといにならないように」、否「バンドの一員として演奏に貢献できるようになりたい」と心に決め、更にさらに修業を続けることとなります・・。
(次回に続く)