鈴木学が、一人のジャズサックス(サクソフォン)、ジャズフルート・プレイヤーとして、ステージや、日常の演奏で感じたことなどを、かる~く書き記した、カジュアルなブログです。お気軽に覗きに来てください!
私、鈴木学の場合、ジャズ、そしてサックス(サクソフォン)演奏に取り組み始めたのは、他のプロ奏者と比べたら、比較的遅めだと思います。大学進学と同時に、ジャズビッグバンドクラブに入部し、テナーサックスを手にしましたから、18歳からサックスを始めたことになります。
以前、ブログ記事として「サイドメンとしてジャズ修行」を書いたのですが、今になって過去の記憶が更に色々と蘇ってきました。「昔の記憶を思い出すのに時間がかかるなんて、歳をとったものだ」なんて、しみじみ寂しく感じつつ、続編を書こうと思います。
私、鈴木学はサックス(サクソフォン)、クラリネット、フルート合わせて合計9種類の楽器を吹きますが、この中で最後に覚えたのは、フルート系です。元来、ジャズのバンドマンの世界では、サックス吹きがフルートに持ち換えて演奏することが当たり前に要求されますから、少しずつ練習はしていました。
私、鈴木学はジャズの修業時代、時折自らリーダーとなってジャズライブに出演してはいましたが、主に他の楽器のバンマスのもと、サイドメンとしてライブ活動をしていました。多い時で、同時に6,7バンドに所属していたように記憶しています。
私、鈴木学は各種サックス(サクソフォン)、フルートに加えて、クラリネットも演奏します。名古屋大学のサークルで、最初に習得に取り組んだのがテナーサックス、その後ソプラノサックス、バリトンサックスと手を広げ、20歳代前半ごろから、クラリネットにも挑戦しました。
これまで、私、鈴木学がサックス(サクソフォン)奏者としてデビューした後の出来事について書いてきましたが、今回はその段階に至る前、大学生ながら、ほぼ毎日朝から晩まで、サックス、ジャズの練習に没頭していたころのお話を紹介しましょう!
前回のブログでご紹介した、アルトサックスの大名人には、他にもいろいろと教えていただきました。否、正確には、大名人の演奏する姿、音色、そして会話の中から、勉強させていただいたというべきでしょう。実際「教えてください!」と頼んでも、「何時の間にかこうなっていたからねえ。よくわからないよ・・」なんて答えが返ってくることがほとんどでした。長年の経験、修練の間に身に着けた、まさに名人芸だったのですね。
前回のブログでは、歌謡曲のバックバンド、歌伴の仕事を始めた頃のエピソードをご紹介しました。この分野の演奏仕事では、本当に数多くの貴重な体験ができました。そしてありがたい出会いもたくさんありました。
私、鈴木学はサックス(サクソフォン)プレイヤーとして、プロのステージに上がり始めた、かなり早い時期に、将来ジャズサックス奏者として生きていくことを人生の目標と定めました。
前回のブログで、ジャズの師匠との出会いのエピソードをご紹介しました。「24時間練習しろ!」とのお言葉をいただいたことから、お察しいただけるかとは思うのですが、毎週水曜日(初期は隔週水曜日)の、師匠のバンド練習は、当時の私にとって、とんでもなく緊張感の高い時間となりました。
当時の私、鈴木学は、時折バンドの仕事をいただいていたとはいえまだ大学生、ジャズ研学生そのものものでした。一応それなりに仕事にはなっていたので、学生の中では、そこそこのレベルではあったのでしょうが、今になって振り返れば、プロのレベルから見れば、ど素人当然だったと思います。当然師匠のバンド練習でも、ついて行くだけで精一杯でした。
私、鈴木学にとって、サックス(サクソフォン)演奏自体について、明確にこの人が師匠だといえる人はいません。もちろん様々な先輩奏者から、色々と助言はいただきましたが、基本的に独学で演奏技術を身に着けました。
前回のブログでは、まだ大学生だったにもかかわらず、ステージに上がる仕事の依頼を受けたところまで書きました。とにかく楽器(テナーサックス)を持って、何月何日にどこどこへ行くように、ということで、事前に地図で現地を確認しつつ(当時はスマホなんてありませんから)、向かいました。
「どうやってサックスのプロになったのですか?」、このように尋ねられる機会は多々あるのですが、実はこの問いは、私、鈴木にとって難問です。「気が付いたらプロになっていた」としかお答えしようがないのです。
かつて、15年前くらい前までの、日本ジャズサックスの世界では、ヴィンテージサックス(オールドサックス)が大変な人気で、盛んに売買されていました。ヴィンテージサックスというのは、現行のモデルよりも何世代も以前に販売されていたモデル、要するに、1930年~60、70年くらいの間、ジャズ黄金時代のジャズマンたちが実際に使用していた楽器のことを言います。