「チャーリー鈴木」だった頃...

以前のブログでお話ししたように、修業時代の私、鈴木学は音楽、サックスサクソフォン)演奏に関するお仕事の依頼があれば、どんな内容でも引き受けていました。もちろん修業のためです。その中で今も忘れられないのが、ロックンロールのトラバンドのお仕事です。

オールディーズバンドに参加!

懐かしの50s、60sアメリカンポップスが生バンドで聴けて、踊れるお店として、今現在も全国チェーンで展開している「ケントス」。以前の名古屋にはこの全国チェーンのケントスに加えて、別経営ながらケントスを名乗るお店がもう一軒ありました(通称「ニセケン」)。そのお店には本家と同様に、毎日レギュラーで演奏するバンドが入っていました。当時20代半ばだった私に、そのバンドがお休みする日に代役として演奏するバンド、「トラバン(エキストラバンド)」でのサックス演奏の依頼がありました。

当時の私はギンギンのジャズオタクでしたから、もちろんフィフティーズ・アメリカンポップスの楽曲なんて、まるっきり知りませんし、ケントスなるお店のことも全く分かりません。まあしかし、何事もやる前から諦める必要は無し、とにかくやってみようという事で、その依頼を引き受けることにしました。

しかし、それからが大変でした。とにかく楽曲を覚えなければいけません。しかも、そのバンドはキーボードを入れない編成だったので、サックスでかなり色々と工夫した伴奏をして、サウンドを彩る必要がありました。自分なりに編曲(アレンジ)しつつ、短期間の間に100曲近いレパートリーを覚えました。

大変だとは言えども、その作業を進めるうちに、当時の流行曲には大体似たようなパターンがある事も分かってきました。それに気づいてからはメモリー(曲を覚えること)も随分とはかどるようになりました。当時の楽曲はだいたいこんな感じです(このイントロのフレーズはうんざりするほど何回も吹きました)。

「チャーリー鈴木」誕生!

当時の私「チャーリー鈴木」です!
当時の私「チャーリー鈴木」です!

当時、この系統のバンドでステージに上がるバンドマンは、たいていステージネームで呼ばれていました。というわけで私のステージネームも決められました。「チャーリー鈴木」、私がジャズをやっていること、バンドのメンバーがジャズサックスと言えばチャーリーパーカーしか知らなかったことから、そう命名されました!

 

そして、ロックンロールなのだから髪型はリーゼントにするようにとお達しが下されました。加えて、気恥ずかしかったのでサングラス(度付きのやつ)をかけました。その結果が左の姿です・・汗。

20代半ば、青年時代真っただ中だった私は、それから2年半の間、毎週火曜日「チャーリー鈴木」としてロックンロールバンドで演奏することとなりました。

ショーの世界で学んだこと

この頃の経験は、今の私にとって一つの財産になっていることは間違いありません。まずは100曲以上のアメリカンポップスをメモリーできた事、そして、学生時代にロックバンド(ハードロック・・汗)のボーカルをしていた経験はありましたが、この頃サックスに加えて、プロのステージで歌を歌う経験ができました。メインのボーカリストに対するサブボーカリストという位置づけでしたが、それでも20曲前後のレパートリーはありました。

他にも、ステージでの司会、MCもこの頃に身に着けました。私が主に受け持ったのは、ステージのエンディングのトーク、一日に4ステージ(5ステージだったかな?)の〆の挨拶を、バンドテーマの演奏にのせてトークしていました。この経験は今も活きていて、ジャズのステージのMCでも、客席、バンドとの駆け引き、「間」のようなものが自然に作り出せるようになりました。

色々と面白い経験もしました。このバンドではまあとにかく、メンバー皆がベロベロに酔っぱらって演奏していました。ギターのバンマスが、ベンチャーズの曲なのに酔っぱらい過ぎて最後までメロディーが弾けなかったりとか・・。私も酔っぱらい過ぎてステージ上でしゃっくりが止まらなくなったりしていました。この時、しゃっくりが出るとサックスが吹けないことを学びました!

しかし、どんなに酔っぱらっても、先ほどのダイアナのイントロはバッチリ吹けました。100回吹こうが、1万回吹こうが寸分の狂いなく同じよう吹けました。恐らく、頭の中が実質的に眠っていても、同じように吹けたのではと思います。

このバンドに参加したての頃、ちょっと「ジャズっ気(?)」をだして、イントロのフレーズを変化させて吹いたことがありました。するとそれを聞いた観客に「チャーリーさん、今日はダイアナ、間違えてたね!」なんて言われてしまいました。そうか!私にとっては音楽的工夫であっても、観客にとっては覚えているメロディーと違うものを聴かされたことにしかならないんだと、この時理解しました。大いに勉強になりました!

他にも色々とエピソードはあったのですが、今になって振り返ると、とにかく色々と無茶をしていたものです。若かったんですね・・。今回はこれくらいにしておこうと思います。続きはまた次回に・・。