私、鈴木学の場合、ジャズ、そしてサックス(サクソフォン)演奏に取り組み始めたのは、他のプロ奏者と比べたら、比較的遅めだと思います。大学進学と同時に、ジャズビッグバンドクラブに入部し、テナーサックスを手にしましたから、18歳からサックスを始めたことになります。
音楽の手ほどきは足踏みオルガンで
サックスは18歳から始めましたが、それ以前にも色々と楽器を触ってはいました。思い起こせば、初めての楽器、音楽体験は幼稚園児の頃、某大手音楽教室系の教室での、足踏み式オルガンだったように記憶しています。オルガンを用いた音楽教室の宣伝か何かが送られてきたのでしょうか?母親から、やってみたいかと聞かれた私は「やりたい!」と答えたのでしょうね。今となってはその具体的な内容な何一つ記憶していないのですが、とにかくそれが私にとって初めての音楽体験となりました。
子供の頃を思い出すと、私はとにかく何でも「やってみたい」と答える子供だったようです。オルガンから、後に電子オルガン、そして書道、水泳、そろばん・・、結構色々とやっていました。しかし残念ながら「飽きっぽかった」ようです。どれもこれも一生懸命だったのは最初の頃だけで、飽きてくるとすぐにさぼりはじめる、そんな子供でした。にもかかわらず、様々に習い事をさせてくれた両親には、感謝しかありません。
電子オルガンで基礎教育を受ける
幼児期のオルガン教室から、次の段階へとステップアップする際に、ピアノか、電子オルガンか、取り組む楽器を選択することになりました。私はもう単純に子供心で、メカニックなたたずまいに惹かれて電子オルガン(エレクトーン)を選択しました。今になって思うと、この時にピアノを選択しておけばよかったと思いますが(今現在、ピアノについては初歩的なものしか弾けません)、ただ、その場合練習が辛くて、すぐに止めてしまった可能性も否定できませんが・・。
とは言え、小学生時代に電子オルガンを触っていたことは、今になって良い影響となっています。当時の初歩的な電子オルガン演奏では、右手で主旋律、左手で和音の伴奏、左足でベースライン、というように分業(?)していました。
そして伴奏の為にコードネームを読む練習をしました。これが後のジャズ演奏に大変役立ったのです。もちろん子供時代の電子オルガン演奏用のコードネームと、ジャズのコードネームでは複雑さのレベルは大きく異なります。それでも、コードネームを読む習慣を子供の頃に持てたのは、とても大きかったです。まあ、飽きっぽかったから、全然一生懸命ではなかったけど、少なくとも毎週レッスンに通う日だけは、電子オルガンを触っていた(弾いていたとは言い難い・・)ことは、良かったと思います。
吹奏楽部でチューバ演奏
中学校に進学すると、何か部活動に参加しなさいという事になります。まあ何となくでも、ずっと音楽をやっていたし、管楽器にも興味があったので、吹奏楽部に入部することとしました。入部してから一カ月は、何故か体操服を着せられて、毎日腹筋運動やら背筋運動ばかりやっていたように記憶しています。
その後、新入部員の担当楽器を何にするか決める段階になりました。各々紙に、第三希望まで書くように言われました。華やかに主旋律を演奏してみたかった私は、第一希望にトランペット、第二希望にサックス、そこまではスッと書けたのですが、後は特に希望は無かったので、まあ何か適当に書いとくかという軽い気持ちで、第三希望に「チューバ」と書きました。
これが後の6年間の運命を決定づけてしまいました。実は、第三希望までの中にチューバと書いた部員は他に誰もいなかったので、自動的にチューバに決められてしまったのです。
何故、6年間だったのかと言うと、中学時代の吹奏楽部の先輩が、進学した先の高校に数名いらっしゃって吹奏楽部で活動していたため、進学と同時に当たり前のように吹奏楽部に連れていかれ、選択の余地もなくチューバ担当となってしまったのです。
もちろんチューバは素晴らしい楽器、魅力的な楽器ですよ!しかし中学一年生当時の私はまだ体が小さかったため、チューバを構えるとマウスピースまで口が届きません(泣)。しかも楽器自体すごく重たいし、ケースに入れると尚更、運ぶものが大変で、演奏の度にヒーヒー言いながら汗を流していたものです。
まあしかし、6年間チューバを演奏していて良かったのは、大きい楽器で、鳴らすために豊かな息遣いが必要だったため、管楽器吹きとしての身体が鍛えられたこと、そして音楽的には和声の最低音、根音(ルート音)を吹くことが多かったため、ルート音の流れに耳が敏感になりました。これは確実に今のジャズ演奏に役立っています。
ハードロックに目覚める!
中高生時代には、吹奏楽の他に、ロックギターにもハマっていました。中学生時代には自室にこもって日々エレキギターを弾き続けていました。まあ、完全に独学、ど素人状態で適当に弾いていたにもかかわらず、御大層にアンプにまでつないで鳴らしていましたから、実家周辺がど田舎だったとはいえ、かなりの「騒音」だったはずです。これまた両親には、迷惑を掛けました。
高校生になると、エフェクター(エコーをかけたり、歪ましたり、音色を加工する機械)なんてものにも手を出し始めました。まあ高校生の小遣いレベルの機材ですから、そんな大層なものは持っていなかったですが(ギター自体、怪しげなバチもんでしたし・・)、この頃に、アンプ、エフェクターのつまみをあれこれ触りながら、ギターの音色について、ああでもないこうでもないと創り続けたのが、今になって、サックス演奏の音色に大きく影響していると思います。少なくとも、楽器の音色を聴く耳は、確実に鍛えられましたから・・。
そしてこの頃同時に、ロックバンドで歌も歌い始めました。高校ではロックバンド系のクラブがあって、部員たちの中でいくつかバンドを結成していたのですが、その中の一つでボーカルを誰にしようという際に、自分で挑戦することになったのです。
もちろんそれまでに人前で歌を歌った経験なんかありません。それでも当時、ハードロックが大好きだった私はボーカルをやってみたかったのです。練習方法なんかわかりませんから、自宅でとにかくレコード(!)を鳴らして一緒に歌う、大声でシャウトしているともちろん近所迷惑ですから、押し入れに中に布団を何重にも重ねて、その中に顔をうずめて思いっきりシャウトして練習しました。
その結果、3オクターブ以上の声域で歌う事ができるようになりました。これだけの声域があれば、たいていのハードロックの楽曲は歌えますから、結構色々なバンドに誘ってもらえました。結局大学の2年生ごろまで、ロックバンドのボーカルはやっていたのですが、この経験も今になって大いに役立っています。サックス演奏最大の秘訣は「歌うように演奏する」ことですから、本当に歌を歌う経験を持てたことは、非常に大きな財産となっています。
この後、完全ジャズに、サックスにハマり現在に至るのですが(大学生時代についてはこちらのブログで)、こうして振り返ってみると、小さいころからの体験が、今になっても役立っているものですね。人に歴史ありとはこういう事なんだと思います。久々に自分の人生を振り返ってみましたが時には良いものですね。また折に触れて思い返してみたいと思います。皆さんも一緒にいかがですか?